
詳細は省くが、中学生の頃、ほんの少しだが担任の家に住んでいた。
家というか、学生の下宿みたいなワンルームマンション。
たぶん20代後半か30代初めだった独身理科教師の部屋は、恐ろしく汚いカオスだった。
連れて行かれた最初の日は、床が見えるように掃除して、山のように溜まったシンクの食器を洗っていたら夜中になった。
ビールの空き缶だけで、ゴミ袋が一杯になるようなアリサマだった。
特に説教されるワケでもなく、近所で売ってる一番安い弁当を二人で食べながら、毎日とりとめのない話をした。
覚えているのは、どうやったらバレずに人を殺せるかという話だ。
今と違って殺したい相手がいたワケでもなく、それは単なる推理小説のトリックを考えてただけなんだけど。
理科教師は古今東西のその手の小説をめちゃくちゃ読んでいて、ぼくの考えた方法を「それは○○の作品にある」とか、それじゃ人は死なないみたいに、ビールを飲みながら嬉しそうに否定していた。
教師はハードワークだと言われるが、理科教師は帰宅してからは一切仕事をしなかった。
自宅での教師は、大人と子どもとか、教師と生徒とか、そういうのとは違う、曰く言い難い距離感でぼくに接していた。
お前、松田のこと好きやろ?みたいに、電気を消してから修学旅行みたいなノリで話もした。
数日経過した時に、このままじゃダメだし、ちゃんと自分の言葉で伝えないと、他人には理解されないぞと言われたのが、唯一の説教じみたセリフだった気がする。
そろそろ家に帰るかと思っていた頃だった。
ぼくが帰宅を決意したのは、そのすぐ後のことだ。
別に教師の言葉に感動したからじゃない。
二人して寝過ごしてしまって、危うく遅刻しそうだった朝、食え!と出された朝飯が衝撃的だったからだ。
生の米に卵を載せた、卵かけご飯のrawデータというか、え、朝から罰ゲーム?みたいなものだったのだ。
腹に入れば同じや!という、ホントに理科教師か?と思うようなセリフとともに、目の前で一気にかきこまれて、ぼくも目をつぶって食べた。
食べたというか、飲んだ。
その日の放課後、ぼくは帰宅すると教師に伝えた。
俺の給料じゃ、お前を養うのはムリやから、それが良いと教師は笑った。
養うって、毎日230円の弁当しか食わせてもらってねぇし、掃除や洗濯は俺がしてた!と言うと、でも楽しかったやろ?と、教師は真顔で言った。
確かに楽しかった。
後日、両親が現金や商品券を礼として渡そうとしても、教師は受け取らなかったらしい。
そのかわりの米数キロと、お高い和牛、あとお歳暮っぽいビールのセットは、喜んで貰ってくれたと聞いた。
教師はぼくの進級と同時に高等部へ異動になったので、結局中等部から合わせて5年、ぼくは理科を習った。
今朝、寝起きの布団の中で、なぜかそんなことを思い出した。
自宅に戻るときと、卒業の時に礼は言ったけれど、謝意は伝えていないなと、不意に気付いた。
若かった教師も、そろそろ定年が見えている頃だ。
コロナが収束したら一度帰省して、謝意を伝えたいなと思う。
あの街で一番高い料亭にでも連れて行ってやろうかな、と。
とあることで警察沙汰になっていて、精神的に不安定な時期だったけれど、先生のおかげで楽しかったです、感謝してますよと、自分の言葉で伝えようかな、と。

にほんブログ村