


ヤバイTシャツ屋さんが芸大生の悲哀を歌った「喜志駅周辺なんもない」に「天王寺に住みたいな でも家賃高い」って歌詞がある。
確かに家賃は高かったけれど、天王寺に住んじゃうとバイトやコンパの帰りが楽だった。
お持ち帰りも楽ちんで、天王寺に住むイコール、家賃を払ってラブホテルと契約みたいな意味だった。
あの頃の天王寺(ぼくらは阿倍野と呼んでいた)は、まだハルカスなんてもんもなくて、地続きのあいりん系西成区の影響をモロに受けてる、じゃりン子チエの世界だった。
天王寺駅からは天下茶屋に向かう南海電車が走ってた(もう天下茶屋までは行ってなかった気もする)
梅田、難波に次いで、天王寺もありまっせ!と手を挙げる前の、胡散臭さ丸出し、丸出し胡散臭い街。
今からは想像できないくらい汚かった。
だけどぼくらのセーシュンの性欲と胃袋を満たしてくれていた。
再開発が進んで、ビニールシートの小屋が並んで青空カラオケをやっていた公園周辺さえ、オシャレスポットになっている。
綺麗になったこの場所を見る度に、ぼくは天王寺が「ごめん、こんなスカしてもうて」って、謝ってる気がしている。
高校デビュー失敗したというか、高校デビューのせいで、それまでの親しい友人をなくした奴みたいな心境で。

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