
何となく読みたくなって、自宅その1の仕事部屋の書架にあった、田山花袋を読んだ。
短い作品で、自宅その2と職場、二往復の電車内で読めた。
電車を降りるとき、僕は無造作に、文庫本をジーンズの尻のポケットに入れた。
その刹那、僕は、その動作が僕にとっては、ひどく当たり前で、日常的な動きだった事を思い出した。
懐かしさと悔恨が混ざり合った、衝撃だった。
かつて僕は、いつもジーンズの尻に、文庫本を差し込んでいた。
おかげでほとんどの文庫本は、汗と動きでボロボロだった。
大人になっても、リーバイスの501をはいて、そのポケットに文庫本を入れていたい。
高校生、大学生の頃の僕は、そう思っていたし、そういう大人になると信じていた。
だけど僕は、自分の根っ子にあった多くのものを、とっくに忘れてしまったのだと痛感した。
「君はもう、立派な文士だ。賞を取って、世間に認められたいなんて気持ちは棄てて、市井の文学者になりなさい」
かつてある作家がくれた言葉だ。
僕は自分が作るものを、文字を使わぬだけで、文学なんだと嘯いて生きてきた。
写真ですら、僕は文学だと信じるフリをしていた。
それは市井の文学者にすらなれなかった自分に対する誤魔化しだと、自分自身、ちゃんと理解していた。
でも違ったのだ。
僕は単に、文学を忘れてしまっただけなのだ。
ならなかった、なれなかった、のではなく、僕は心中覚悟で付き合った筈の文学を、忘れてしまったのだ。
あの日、小説を書くことに明け暮れ、暇があれば文学について語っていた僕は、もういない。
あの日の僕は、確かに、リーバイスの尻に、文庫本を突っ込んでいた。
その僕は、もう他人の顔をして、今の僕には振り向いてもくれない。

にほんブログ村